2023年1月31日火曜日

令和4年度 いわき市児童虐待防止啓発講演会 「しつけと虐待の違いって?~価値観、アップデートしませんか~」

 

しつけとは?

「しつけ」と言われてどんなことを想像しますか?私の頭に浮かぶのは、身を美しくする、と書く「躾」。周りの人に不快感を与えないようにするもの。と私自身は思っていますが、この「しつけ」について人によって解釈はさまざまであり、辞書をひいても複数の意味があります。今回「しつけと虐待の違いって?~価値観、アップデートしませんか~」という講演会に参加してきました。

最近、「発達障がい」や「不登校」に関するお話を聴いて、現実と今まで持っていた自分の中の考えにだいぶギャップがあり(社会はどんどん変化しているので)、自分の中にあるものを時々アップデートすることは大事だなと感じています。私の持っている「しつけ」観をアップデートするいい機会だと思いました。

お話をしてくださったのは弁護士の菅波香織さん。5人のお子さんを子育て中のママです。

自身の子育てを振り返り、24歳で母になり3人目までのお子さんは子育てがつらくて苦しかった、しつけのためには体罰は容認されると思っていたというお話から始まりました。

1歳、3歳、5歳のお子さんの子育てをしながら司法試験に合格し、自宅から2時間かけて司法研修所に通う日々。毎朝「この電車に乗らないと間に合わない!!」という時間との闘いの中、親の思い通りにならない絶賛やるやる期(いやいや期ともいいます)のお子さんに手を上げていたそうです。

司法試験で勉強した日本国憲法。日本国憲法では人権の考え方を勉強したのに、その自分が子どもを怒鳴ったり叩いたりしている……。これではまずいと気づき、「エラーをなおしたい」と子育てのことを学ぶようになったそうです。


しんどい親が減れば、虐待も減るかもしれない。

親のしんどさを周りが理解すれば、ちょっとした手助けを申し出る人もいるかもしれない。

そうしたらこどもたちはもっともっと、自分らしく豊かに生きられるのではないか。

(講演資料より)


最近、さまざまな事柄についてアップデートする機会に触れることが多いのですが、課題の当事者だけでなく、その周囲の方々にも今まで持っている考えや情報をアップデートしていただかないと、結局課題は解決していかないのではないか、と思うようになりました。なぜなら人は一人では生きていけない。社会の中で生活しているからです。

ぜひ子育て中以外の方にも知っていただき、社会全体でしつけや虐待に関する情報をアップデートしていただければいいなと思います。


体罰の悪影響と体罰禁止法

親は「将来子どもが困らないように」、「他人に迷惑をかけないように」等々、つい“子どものため”と思って、時にはその気持ちがエスカレートして子どもに手をあげたり必要以上に声を荒げてしまうこともあると思います。ですが親権者による体罰が法律によって禁止されました。

子どもに「どんな子どもに育って欲しい?」と考え、そうなるために必要なのが「しつけ」なのではないでしょうか。


「体罰」とは子どもの身体に何らかの苦痛を引き起こし、または不快感を意図的にもたらす行為(罰)であり、「しつけ」とは子どもの人格や才能などを伸ばし、社会において自立した生活を送れるようにすることなどの目的から、子どもをサポートして社会性を育む行為です。※厚生労働省が作成したパンフレットより抜粋


菅波さんは弁護士として沢山の方の相談にのってきた経験から「人は他人に迷惑をかけないと生きてはいけない、他人に迷惑をかけるのは当たり前。他人に迷惑をかけない子に育って欲しいという考えは危険なのではないか」といいます。

菅波さんのところには、問題が煮詰まって最大限に困った状態で相談にいらっしゃる方が多いそうです。でも“ちょっと困った”くらいの段階で相談に来てくれたら、問題も複雑にならず時間もかからずに解決に至るのに、と思うそうです。だから親も子も“ちょっと困った”という段階で周囲にSOSが出せる方がいいのではないか、と。

菅波さんの話を聴いて思い出したことがあります。世間では“自己責任”という無言の圧力が強いこの頃ですが「甘える」と「頼る」は違うという話をFacebookの記事で読みました。私は人に頼ることが苦手です。相手の迷惑にならないか考えてしまうからです。しかしもらうばかりが「甘える」で、もらったら与える(お返しする)のが「頼る」。その恩の貸し借りが人間関係を継続するときの一番のつながりではないかというものでした。

またある方は「人に頼むということは相手への信頼を伝えること」だと言いました。信頼しているからお願いできるんですよね。

「困った時は親も子もSOSを出していいんだ」と思ったら、ちょっと心が楽になりませんか?

話は戻りますが、体罰や暴言が子どもの脳の発達に深刻な影響を及ぼすことが科学的な研究からも明らかにされてきました。親は“子どものために”と思って行ったことでも逆に心身に悪影響を及ぼしているのです。

そして子どもが受ける痛みやダメージは、大人が思っているよりも大きいということも研究で分かっています。

また軽い気持ちで行っていたこと(体罰)が、だんだん感覚が麻痺してエスカレートしてしまい、虐待になるケースもあります。

ここまで読んで「今までのこと、もう取り返しがつかないのでは?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。しかしその後の適切な関わりや周囲の人たちの支援で、悪影響から回復したり課題を乗り越えて子どもは成長するのだそうです。気づいたその瞬間から子どもへの関わり方を修正することが大事なんですね。

そして人にはそれぞれ人権があります。話の冒頭で菅波さんがハッと我に返ったという「人権を学んでいる自分が子どもに手をあげていいのか」ということ。

人権というのは「誰もが幸せに暮らせる権利」のことで、もっとわかりやすい言葉でいうと「安心・自由・自信」であり、これらが傷つけられることが人権侵害です。これはお子さんにこそ知っておいて欲しいと私は思ったのですが「いやなことをされたら助けてと言っていいんだよ」ということ。それから「自分はとても大事な存在だけれど、周りの人も自分と同じように大事な存在なんだよ」ということです。


虐待について

児童虐待には4つあります。身体的虐待(身体に暴行を加える)、心理的虐待(暴言を浴びせたり無視をするなど)、ネグレクト(育児放棄)、性的虐待です。

子どもの目の前でどちらかの親が配偶者に暴力がふるったり、配偶者に暴言を吐いたり、兄弟が身体的、心理的虐待を受けているところを目の当たりにしたりすることは面前ドメスティックバイオレンスといって心理的虐待となります。自分自身に対する虐待ではないのでこれらが虐待に含まれると知って驚きましたが、直接自分に危害が加えられなくても子どもの心に深い傷を残すので納得しました。近年ではこの心理的虐待が圧倒的に増えています。

最近ではネグレクト(育児放棄)も増えています。親がスマホやネットについつい夢中になりすぎて、子どものちょっとした呼びかけに気づかないこともこれに含まれます。私たちも夫婦間でこのようなことが時々あるので気をつけなくては、と思いました。

これはそうはないとは思うのですが、最近、ある衝撃的なニュースを目にしたので追記します。性的行為を見せることは性的虐待に含まれます。

早稲田大学大学院「体罰調査プロジェクト」から、体罰を受けていた人は自分が体罰を行うことに抵抗が少なくなる(体罰を受けていた人は子どもに体罰をする傾向がある)という報告がありました。ただし、体罰を受けた人が必ず体罰をするというわけではありません。

体罰は虐待にエスカレートします。いかなる理由があっても体罰は容認できません。子どもたちが悲しい思いをしないように、そしてその行為が次の世代へ連鎖することがないようにしたいですね。


子ども達のリアルな現状

ユニセフの報告書には「子どもの身体的健康は1位なのに子どもの精神的幸福度が低い日本」。日本財団が行った18歳意識調査の結果から見えてきたのは「主体的に生きていない大人たちの姿」。また世界的にみても日本は子どもの自殺が多く、原因や動機から学校問題や家庭問題が子どもを追い詰めているということがわかります。そしてコロナ禍により居場所のない少女たちが増加し、性的搾取(買春等)などの被害にあう子がでてきたり、NPO法人若者メンタルサポート協会が10代専用の無料LINE相談を実施したところ月1500人超の子どもたちから4万通の悩みが届いたそうです。

目を覆いたくなるような現状ばかりではありますが、生きにくさを抱える子どもたちのために私たちはどうすればいいのか。親への支援も必要であり、また子どもというのは「尊重される存在」であり、地域としてももっと「子どもたちを守る仕組み」を整える必要があるのではないでしょうか?


障がいと虐待

障がいがあると虐待されるリスクは高くなります。障がいのある子を育てる親御さんへの支援も必要ですし、学校では障がいの特性を理解していないために親と子を追い詰めてしまうことも考えられます。


どうしたらいい?

日本では「子どもは保護する対象」というイメージが強く、子どもの意見が尊重されることは極端に少ないと思います。

だからこそ大人は「子ども観」をアップデートして、子どもたちの感覚や意見を尊重するために大人が学び、訓練することが求められているのではないでしょうか?

大人が学び、訓練するための工夫として菅波さんがいくつか紹介してくださいました。ぜひご自分にあう考えややり方を探してみてくださいね。


親も子も楽になる!子育て10のヒント いわき市子育てサポートセンター

キッズ★アリぺ オンライン版 親も子も楽になる!子育て10のヒント

子どもが生きる力をつけるために親ができること 工藤勇一(元麹町中学校校長)著

自律する子の育て方 工藤勇一/青砥瑞人(神経学者)著

こどものケンリ 大人も子どもも、知っておきたい話 人権QAコラム 工藤勇一氏インタビュー

CAPを幼児期から

後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと 信田さよ子

はまちる(はまどおりサポートちるどれん)ではさまざまな勉強会や対話などをおこなっておりますので参加してみませんか?

イベント情報は Facebook Instagram をご覧ください。


会場で主催者より配布された資料より

「ママもパパも、一人で抱え込まないで」子育ての悩み、家族のこと、ご相談ください

児童相談所 相談専用ダイヤル0120-189-783

(2023年2月 親子のための相談LINE 開設予定)


「あの親子、大丈夫かな」と思ったらご連絡ください

児童相談所 虐待対応ダイヤル 189


厚生労働省 体罰等によらない子育てについて のページもあわせてご覧ください。


菅波さんの講演会ではありませんが、こちらもぜひ補足させてください

11月6日に行われた“はまちるフェス”。テーマは「子どもの人権ってどうして必要なんだろう」。立教大学名誉教授の浅井先生と東京大学名誉教授の汐見先生の対談が行われ、「子どもの最善の利益」という話から対談がスタートしました。

私は昨年、保育士試験を受験し「子どもの最善の利益」という言葉は試験勉強で何度も登場したのでなんとなく分かっていたつもりでしたが、汐見先生の説明が私の心にストンと落ちました。「子どもの最善の利益」を英語ではthe best interest of children というのだそうです。interest とは“関心”。「子どもに最大の関心を持ちながら今までやってきたかどうか?」と先生は問いかけられました。

「人間」は「人のあいだ」と書きます。人は支えあわなければ生きてはいけません。人間が幸せになる条件は人間関係であり、関心を持ってもらえないことはとてもつらい(いじめがまさにそう)こと。残念ながら大人は子どもに関心を向けていません、と汐見先生。浅井先生も「子どもは社会の端っこに追いやられているよね。」と。

その人がその人らしく生きていること。それをどれだけリスペクトできるか、学べるか。乳幼児から学ぶべきことは沢山あります、と汐見先生。

そして先生は「いろんなところで、小さくてもいいから多世代の人たちと語り合う場をつくること」を推奨されました。

浅井先生も「子どもたちの声を聴かないで子どもの問題を解決することはできない。子どもが本当に望んでいることは何だろう?」とおっしゃっていました。


~レポート執筆を終えて~

保育士試験の受験勉強で体罰や虐待について勉強したつもりでいましたが、菅波さんの講演やはまちる主催の講演に参加してさらに知ることも多かったです。


11月は児童虐待防止月間であり、11月25日は「女性に対する暴力撤廃」の国際日で11月12日から25日までの2週間を「女性に対する暴力をなくす運動」の期間と定められています。

それにあわせてFacebookでDVを子どもの視点からとらえたノルウェーの絵本を紹介してくださった方がいらっしゃいました。絵本だと大人も子どもも、当事者もそうでない方にも広く知ってもらうことができるのでいいなと思いました。子ども支援に関わる方に読んでいただきたい一冊です。市立図書館に蔵書があります。

『パパと怒り鬼──話してごらん、誰かに─』

 グロー・ダーレ/作  スヴァイン・ニーフース/絵 大島かおり・青木順子/訳

 ひさかたチャイルド 2011.8.1

原作は2009年に映画化(日本公開タイトル「アングリーマン」)されたそうで、広島国際アニメーションフェスティバルでグランプリを獲得したのをはじめ、世界各国で高い評価を受けているそうです。こちらも機会があれば観てみたいと思いました。


最後に

子育ては大変です。いろんなことが起こります。でもこの詩を読んで、ぜひお子さんが生まれたときのことを思い出してください。 

私の好きな詩と作者の言葉を紹介して締めくくりたいと思います。


名前は祈り 毛利 武


名前はその人のためだけに

用意された美しい祈り

若き日の父母が

子に込めた願い


幼きころ 毎日、毎日

数え切れないほどの

美しい祈りを授かった


祈りは身体の一部に変わり

その人となった


だから 心を込めて呼びかけたい

美しい祈りを


作者注:この詩は、黒川伊保子さんの「怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか」をヒントにして書かれました



毛利さんの言葉より・・・

   <この世に存在するものには必ず名前があります。名前があるのは、その存在を求められているからです。中でも人の名前は特別な言葉です。自分のためだけに用意され、一生のあいだ名乗り、呼び続けられる言葉です。>

  ・・・略・・・

   <一生涯にわたって使う名前ですから、そこには親の願いを込めたいもの。あまたの候補から、たった一つ、願いをこめて名を決めます。それは祈りの実です。天から授かった祈りの実です。>


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